なかなかまとめるのが難しい話なのですが、東洋医学の世界で風邪&その他感染症(いろいろヤバいやつも含む)、つまり外界からの影響で起こる病気は、誤解を恐れず思いっきりザックリ分けてしまうと、
・寒い寒い、という風邪(風寒邪による風邪=傷寒病=『傷寒雑病論』の考え方で治療)
・熱い暑い、という風邪(風温・暑湿邪による風邪=温病=『温病学』の考え方で治療)
というパターンに分けることができます。
念のために書きますが、
傷寒病であってもかなり高熱が出ることは多々あります。
温病であっても猛烈な寒気が起こるステージがあります。
治療の過程で、傷寒病を治すのに冷やす方剤を使うケースがありますし、
温病を治す過程で温める方剤を使うケースがあります。
あくまで、最終的な邪気(病気を引き起こした、外から来た病因)本体が、冷えか熱か、で分けたらこうなる、というだけです。
これまで登場した医学書も「この症状にはこの薬だよ」などというハウツー的な医学書ではありません。
(私はそんな感じでブログを書いちゃったかもしれません、ごめんなさいm(_ _)m)
レントゲンや血液検査などない時代に、「なぜ病むのか」をそれまで積み上げられてきた自然哲学と先人の経験を踏まえながら、病気の本質に迫るべく、まさに死ぬ思いで記されたであろう名著です。
(中国の王朝時代なんぞ、医者がうっかりミスでもしようものなら、最悪殺されていたんですから…)
病気の本質に迫ったからこそ、ただの風邪薬では収まらない、無限の可能性を秘めた医学として成立したのだと思います。
日本ではメジャーな『傷寒論』系統の風邪を治すだけでも、膨大な方剤があるのに、
『温病』の風邪も正確に治そうとすると、
・・・もう、風邪には葛根湯を飲もう、なんて安直に言えませんよね。
(しつこいほど書きますが、葛根湯が「その」風邪にピッタリはまると抜群に効くんですよ)
漢方薬を飲んだ経験のある方で、その評価がよく分かれるのはこの辺りにあるのではないでしょうか。
その時の状態にピッタリあった漢方を処方された方は、感動的な経験をされることも多いようです。
(漢方薬が「美味しかった」りする)
反対に合ってない漢方薬を飲んだかたは、治らないならまだしも、悪化する人もいると思います。
(そして合わない漢方薬は、「マズい」ことが多い)
さて、当然鍼灸とて同じです。
正しく診たてた上で、一本立てた鍼は心地よく、苦痛を抜いてくれますが、
診たてがお粗末で機械的に「○○の症状だから、このツボ」と鍼をすれば、
何も変わらないならまだしも、酷ければ悪化することさえあります。
葛根湯を飲めば風邪全部に効く、なんて話しは無いように、
○○のツボで、たとえば肩こりが全部治る、などという話しはありません。
その時、その場所、その人の、その病ごとに、状態の本質を弁える(わきまえる)。
そうした病気の本質を示すものを「証」(しょう)と呼びますが、
東洋医学の世界では「証」を「弁」える、「弁証」という作業が必須となります。
この「証」という概念が分かると、漢方・鍼灸の世界が少しわかりやすくなってくると思います。
漢方を紹介する雑誌なんかでも「実証」「虚証」「桂枝湯証」「葛根湯証」などの用語が使われているものも、たまにお見掛けします。
要は、風邪を葛根湯で治したかったら「葛根湯証」の時でないと効かないよ、ということです。
葛根湯証の本質とは、
風寒邪が表(ここでは肌)に入り、
そのために汗が出ず、寒気がし、
特に首筋に風寒邪が居座っているために肩がこる、
こういう病気でないと葛根湯やそれに準ずる鍼灸は効かないよ、ということです。
大分、端折りましたが、次からまた漢方と鍼灸について書いてみたいと思います。